一線を越えた人とそうでない人をきちんと区別するべきというそれだけの話

 

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記事を読んでげんなりした。

フィルターをすり抜けて出てきた「ごく一部の異常で暴力的な男性」をさも「男たちの常識」のように扱っていて男性の僕としてはげんなりせざるを得ない。確かに性的な目で見ているという部分では全ての男性に当てはまるだろうけども、それを「思っているだけ」なのと「女性に伝える」のは全く意味が違う。一線を越えている。

 

一方で男性のいう「女性って〜」という内容に出てくる女性もそのフィルターから抜け出てきたごく一部の一線を越えた女性たちである。そして男女共に一線を越えた人達だけの話を「男女それぞれの常識」であるかのように扱うので、互いに憎みあい、争いが起きるのだ。それを僕は身をもって経験している。

 

小学生の頃の話である。

僕の友人がクラスの女子から告白をされた。友人は決してモテる奴ではなかった。なにしろ小学生の貴重な休み時間を「ポケモンデジモンが合体したら最強じゃね?」議論に割いていたからである。相手は僕である。お分かりいただけたであろう。その友人が告白されたというのにも驚いたが、その告白してきた相手の女子が、まあ、その、イケてない感じのパーツでデコレーションをしたフェイスだったのだ。友人は告白を断った。しかし、そのイケデコ子はクラスの女子内で幅を利かせている感じの子だったので、イケデコ子の周りを取り巻く、イケている美人の子たちがそれに怒ったのだ。

 

「ひどくない?」「ひっどーい」「かわいそう」「あんたなんかどうせキモいだけ」と好き勝手に友人の事を非難した。友人は耐えた。耐えた。「もういいってみんな」というイケデコ子の声に非難の声は小さくなっていたが、1人の「あんたたちっていつも2人でいて気持ち悪い」という声にはついに席を立ち上がって怒った。

 

僕だ。

友人は気持ち悪い。それは僕も思っていた。ピカチュウアグモンってどっちが強いんだろうね?という切り口とかどうでもよかった。が、僕は気持ち悪くない!おかしい!「は?ブスの告白を断って何が悪い」という僕の発言に「聞いた?ひどい!」「頭おかしい」「あんたは関係ないのに」というさらなる非難。「るっせバーカ」と僕の中に持つ最大級の威嚇も「は?キモーイ」「キモイ」「キモイキモイ」と意味を成さなかった。友人は黙っていた。それにまた怒りが湧いた。「お前もなんか言えや、ブスじゃん?だから断ったんじゃん?」と僕が囃し立てても友人は黙っていた。ポケモンの名前を野球選手の名字にしたパーティを組んだんだよねーという話をあんなにも得意げに話していた友人が今や沈黙である。「カイリューは『まつい』でー」とか言っていた友人が今や完全なる沈黙である。

 

僕の怒りはピークに達して、その取り巻きの女子に向かって「お前らもブスだと思ってんだろ?素直に言えや」と言い放った。ついに彼女たちも沈黙をした。イケデコ子も沈黙だった。そう、答えは沈黙。時として自分の意志をあえて言わない、沈黙するという事が正解であると学んだ瞬間でもあった。

その後、「お前も言い過ぎだって」と言う友人と「本当に酷い奴なんだ」「キモイ奴だったんだ」という視線を感じた僕には誰も味方がいなくなった。

 

思うのは仕方がない。が、それを実行、発言してしまうのは全く別のものだ。一線を越えてはいけない。24歳になった僕も今は一線を越えなくなってきた。僕が財布を開けた時の女性の「2000円しか持ってないのかよ…」という視線にも耐えられるようになった。口にしないでくれてありがとう、とすら思う。そうやって、男女共に互いを認めあい、理解して、耳を傾けられるような社会になればいいなと思っている。そしてなにより僕の財布の中身が2000円より増えるような、そんな社会に。そう、そんな感じで。