ミニマリストが抱えている最大の荷物はオシャレ心である

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断捨離、ミニマリスト、シンプルライフという言葉を最近よく耳にする。

特に否定する気はないのだれど、「シンプルでありたい」という言葉の中に隠れたドロッとした怨念のようなものを感じる。

 

僕もかつてミニマリズムを提言し、実行した。

厳密には貧乏を苦に行った強制策であった。まず2部屋あった家から巨大な自作の机とパソコンと椅子と布団と服を残して全て売り払った。雑貨は水を飲む用のグラスだけだった。実家が近所だったのでご飯は実家で食べた。お風呂も実家で入った。「あれ?ガスいらない…」とガスも通さなかった。その内、実家で寝るようになったので布団もいらなくなった。最終的に部屋も捨て去った。退去。僕に2部屋はいらない。

 

ミニマリズムとはまた違う貧乏生活を披露しただけだったが、この生活で気付いた事は、「無駄な物を排除すれば無駄のない生活を送れる」という事だった。確かにミニマリストのいう事も一理ある。

 

とはいえ世のミニマリストに感じている事がある。

なぜ中華鍋を買わないのだろう。中華鍋は炒め、揚げ、ちょっとした煮物でもいけるじゃないか。なぜホーローの手鍋を買うのだろう。ミルクとクラムチャウダーを温める程度の大きさの鍋で他に何をするというのだろう。

 

「シンプルって良いよね!」という思想の中に酔狂ともいえるし怨念ともいえる、何かおぞましいものを感じてしまう。

 

そのホーローの鍋、必要ですか?

 

 

【断捨離】おもちゃの要・不要は、子どもに聞かずに親が判断 - Togetterまとめ

僕が5歳くらいの頃、家の床を水浸しにしたら母親に大量にあったおもちゃというおもちゃを投げ捨てられてそのまま粗大ゴミとして処分された経験も断捨離だったのだと言い聞かせてる

2015/12/11 19:19

 

母親は「しつけと怒りを原動力にした最先端の断捨離」を実行した。大量にあったウルトラマンのフィギュアも仮面ライダーたちも全てまっ二つに裂かれて捨てられた。悪を倒す正義のヒーローも母の怒りには勝てなかった。母は強し。